SO NICE!?

  いつもTootie流超訳でご紹介しています。
(だから違うところはご指摘くださるとうれしいです)
父の日にちなんで雑誌の中でお父さんについて
語ってるところをピックアップしてみました。

まずは3月の香港の週刊誌「壹周刊」から。

 将来の僕の子供と自分に大きな年齢差はないほうがいい。僕が生まれたとき、お父さんはもう40才だったから、多かれ少なかれ隔たりみたいなものがあったように思う。
 お父さんは自分の気持ちを表現するのが下手な人だった。最近体の調子がよくなくてちょうど病院から出てきたときにふと、お父さんとしゃべる機会ってそうなかったなぁと気づいた。
 お父さんは僕に大きなプレッシャーを与えないようにしていたと思う。「おまえは歌が好きだから歌うんだろう?人気を得たいからじゃないんだろ?」会うたびそんなことを言った。
 72才になって初めて入院してから、人生観が大きく変わった。僕の仕事のことも含め、いろんなことに力が抜けたみたい。
 実は僕自身、お父さんのことをよく理解できていない。学校が終わって家に帰った時にはもうナイトクラブへ仕事に出た後だったから。お父さんについてはお母さんから聞いて知ったことばかりだった。
 ずっと僕とお父さんはとてもぎこちない手段で問題を解決してきた。異世代間のコミュニケーションは昔から受け継がれてきた方法、つまり彼がダメなものはすべてダメ。
 お父さんは服が好きで、いつまでもカーキのスーツ、あるいはグレーのパンツにブルーのジャケット、それも必ずいぶし銅のボタン。チェックのシャツにネルのジャケット。このスタイルがくずれることは永遠にないと思う。
 かつて僕とお父さんがとったコミュニケーション方法を、将来の子供との間には引き継ごうとは思わない。子供にはどんな音楽も聴かせてあげて子供の好きなのを選ばせてあげたい。だからって夏金城(注:本業はタクシー運転手。99年に突然大ヒットした、日本で言うと”孫”の大泉さんみたいな感じか)まで聞かせようとは考えてないけどね。

次は去年の8月の「忽然一周」より。
ちょうどご両親のためにハッピーバレーに部屋を買った
頃です。ご両親について語ってます。

 できれば両親に家をプレゼントして老後をゆっくり過ごしてほしいなとずっと思ってた。大きな部屋でなくてもいいんだ。両親も大金持ちになることを期待してるってわけではないし。
 最近日本から帰ってきて、何週間か両親と会ってなかったんだけど、二人とも急に背中が曲がったしまったように見えた。70もとっくに過ぎて、これからを健康に、一緒に過ごしていけたらと思ったんだ。親孝行したいときに親はなしって言葉が頭をよぎった。

あぁ、なんてすばらしいっ。子供の鑑ですねぇ。
って感心してないで見習いなさいってこと
ですよねぇ、はぁ。まったく頭が下がります。


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