SO NICE!?

いつもの超訳でお送りしてます(激汗)
今回は康仔の友達の一人で作詞家、作家の
梁[廾/止]珊が康仔について書いた
インタビューエッセー「今日之後」。
「COSMOPOLITAN」香港版に掲載されました。

後半はここから。

 

 蘇永康と知り合ってもう10年、20以上の曲に歌詞をつけてきたが、彼へのインタビューというのは2回しかない。
 彼の反応は1度目と同じだった。「まだインタビューするの?君が書くんだったらもうそれでいいよ。」 彼がそう言うのは私が物書きの仕事をしているからだけではない。インタビュー前の二日間、私たちは食事の約束をし、そこで話は出尽くしていたのだった。またインタビューのアポをとって、現場に向かい、彼に同じ質問をしたらきっと時間が余るに違いない。
 インタビューの日は写真撮影の日にあわせた。でも私は彼には撮影に専念してもらった方がよいと思い行かなかった。編集者には電話インタビューに変更すると伝えて、彼に電話した。が、彼は一言「君はどんなことでもうまく文章にできるじゃない。」 もとより私に時間を割くつもりなどなかったのだ。 よし、じゃぁやってみましょう、インタビューなしのインタビュー記事を。
   9月の後                
 知っての通り、彼には親友がたくさんいて、彼らはなにかあれば一緒にいる。わたしはクリスマスや新年やコンサートの打ち上げといった大きな集まりにしか参加しないので、その数には入っていない。
 みんなそれぞれ忙しいし、しかもスターの打ち上げなどといった集まりはけっこう一般の想像とはかけはなれていて、思っているより不便だったりする。
 それでもその時になればかなりの人がその場所に向かう。いちいち電話で約束しなくても、そこに行くだけで彼らに会えるのだ。もちろんいつも違う場所になるがみんなで探しあう必要はない。
 しかし、去年の9月以降、この手の集まりがあればこう聞くようになった。「今晩、蘇永康は来るの?」親友はこう答える。「去年の9月からほとんど来なくなったね。」
 去年の9月24日、彼が結婚した日だ。
 彼はいつも自分のことを昔からの考えを持った人間だという。果たして彼自身もかつての男性がやっていたこと、いつも家に帰ったら奥さんのそばにいることを守り続けている。
 これはマスコミにも友達にも何度となく言っていた言葉だ。
「これまでは家に帰るのが好きじゃなかったんだ。だって椅子と一緒にいたっておもしろくないもの。でも今は僕を待ってる人がいるから。」
 蘇永康はもともとからウソがつけない人だが、他雑誌のインタビューを見て、プライベートでの発言とインタビューでの発言にくい違いがないことに気づいた。わたしなど彼から聞いたことを他人に話さないようにしようと心がけているのに、なんのことはない彼の方から一部始終話しているのだった。
   

  コンサートの後
蘇永康にはたくさん友達がいる。ほんとうに多い。去年の初(紅館)コンサートの時も友達がひっきりなしに楽屋を訪れて席がなくなってしまったので、ならばとみんな立ち見したくらいだった。許さんに鄭さん、梁さんに今や奥さんの彼女などにも義理が立たなくなってしまった。というのも友達があまりにたくさん来たため、毎日数少ない席をめぐって仲のよい人ほど席がまわってこなくなってしまったのだ。でもその親友たちは自ら席はいらないと言った。「ほかの人に座ってもらって。僕たちのことは気にしなくてもいいから。」
 コンサート最終日の後、彼は友達を打ち上げに招待したのだが、ホテルの広い会場内に歌手や、俳優、ラジオ局、作詞家、作曲家、バンド、所属会社、実に様々な方面から7,80人来ていた。
 あの日は漢洋と話していたのだが、「彼ったらどこからあんなにたくさん友達を連れてきたのかしら。」と言ったら漢洋はこう言った。「ほんとうだよ。でもあのときはみんな自分のことのように喜んでたね。友達がたくさんいる事を世間に言ったところで仕方がない。相手も友達だと思わなきゃ頼まれたって行かないよ。」
人気絶頂の後
 コンサート後は蘇永康の人生の重要なピークだっただろうと私は思う。
 最初に3回コンサートを行い、その反応の良さから、再度6回も開いた。その後は映画にCMに番組出演とどんどん仕事が舞い込んできた。9月に結婚しても二人で幸せをかみしめる間もなく、すぐにワールドツアーに出発してしまった。
 しかし、2000年の音楽賞での蘇永康は静かだった。プロの歌手として恥じないよう盛装して出席し、舞台に上がる機会もあったのだが、去年とあきらかに違ったのは彼が主役になれなかったことだった。去年は受賞後舞台裏に戻るとみんなが抱き合ってお祝いしてくれた。でも今年はみんなケリー・チャンやイーソン・チャン、ニコラス・ツェのところへ行ってしまった。舞台の上も現実だがその裏は更に厳しい現実だ。
 人気絶頂の反発で彼の心のバランスが崩れてしまったのではないかとわたしはとても気になった。
 しかし、わたしの過分な心配は彼に一笑されてしまった。「全部思ってた通りさ。心の不安定もコントロールできるし。それより、今考えてるのが去年の僕でもこれやったらコケてただろうなってことなんだけど・・・コンピレーションアルバムを出そうと思ってるんだ・・・」
 『越吻越傷心』のあと、蘇永康が次にどんな傑作で驚かせてくれまた今の自分を越えていくのか、みんな注目していた。彼を好きな人は彼にがんばってほしいと願っただろうし、彼の大ブレイクをこころよく思っていない人は一発屋で終わってくれるよう神に祈っただろう。そんな中、彼が出した結論があのコンピレーションだったのだ。収録曲はすべてデュエット、それも香港、台湾、中国、日本の人気スターとの合作である。数曲はオンエアされたが1曲も特別なものがない、大ヒットしたという曲もない。結果、音楽賞には1曲も入賞しなかった。
 「でもそれは表面上のことでしかない。実際は大陸の市場を開拓したし、台湾でもとても好評だった。香港での反応は予想してたことさ。このアルバムを出してから番組出演が増えたし、正直言えば、たくさん稼げたことは確かだね。マンション購入の資金もこの1年の収入からだし。別の角度から見てもこの時期は僕の人生のピークだね。」
 一人の男、特に結婚した男だ。これまでにない収入を得た。奥さんの気に入った部屋を買って将来の子供を迎えられる準備もできた。その上両親が住まう部屋も買ってあげた。でも、みんな実際口にはできないのだが、彼の仕事はいつか下降線をたどることになるのだ。
 「人はそれぞれの段階で求められるものも違う。」この言葉が蘇永康の口から語られると、どうやって実現していくのかと思ってしまう。
今日の後
これからも蘇永康は音楽に全力を傾けるだろうし、もちろん収入を得る努力も重ねていくだろう。去年の彼には賞品ではなく賞金が必要だった。今年はなんとかして両方ほしいところだろう。
 「部屋を買った後は負担が大きいよ。初回に半分は払ったけど、その後は少しずつ支払いしていってる。遅かれ子供ができれば出ていくお金はもっと増えるしね。」
 蘇永康は無駄遣いをするような人ではない。自分のお金だけではない、人のお金の使い方まで口を出す。呉國敬が買った、彼曰く「実用的でない」車はいまだにこき下ろされているし、わたしが前回買った4000ccの4WDについても彼が目にするたびに燃費が悪いから早く買い換えるようにと勧められた。
 蘇永康の口癖は「なんにでも好みがあるわけじゃない。有名で高い車がほしいわけじゃない、住む部屋も500フィートあれば充分。服を買うことだけが好きなんだからいいだろう?」 服の買いすぎをとがめられると彼はいつもこう言った。
 先月、彼はヨーロッパへ旅行したのだが、電話で何か買ってくるものはないかと尋ねてくれた。わたしは特にないと答えたがその後でいつものように「無駄遣いしないでね。あんまりたくさん買ってきちゃダメよ。」と言った。が、今回は態度が全然違った。「わかってるよ。マンションの支払いもあるし、家族も養っていかないといけないし。」
 去年の9月以降、蘇永康は考えが少なからず変わった。これからもさらに変わっていくのだろう。だって「人はそれぞれの段階で求められるものも違ってくる」のだから。