アルバム解脱書より名前 : 蘇永康 (広東語では”そー うぃん ほん” 北京語なら”すぅ よん かん”)
英名 : William
ニックネーム : 康仔(ほんちゃい)。出演したドラマから”Uncle”、”阿矯”とも。
生年月日 : 1967年9月24日  天秤座のO型

  1985年、第4回新秀歌唱大賽に出場、第2位となったのがきっかけで1989年『失眠』でデビュー。
 当初より自らプロデュースに加わり、ライトジャズなサウンドを中心に展開。実力派として注目されるものの、売れない時期が続いた。
  1992年より始まったドラマ「壹號皇庭」全5シリーズに通してレギュラー出演、この頃から徐々に名が知られ、役名から"Uncle"と呼ばれて親しまれる。
  1995年には初の北京語アルバムをリリース、『男人不該譲女人流涙』が台湾で大ヒットすると、翌96年、香港でもベストアルバム『好蘇永康精選』がヒット。97年に所属レコード会社を正東唱片へ移籍してから歌の人気も徐々に上がっていった。
  そして1998年。ドラマ「妙手仁心」に出演、ゲイでのちに患者からHIVに感染してしまう外科医の役に挑戦、大好評を得る。同時期に『不想獨自快楽』をリリース、これが空前の大ヒット、ヒット曲「越吻越傷心」にひっかけて「越〜越・・・(〜するほど…)」のフレーズが流行するなどひとつの現象を巻き起こすまでになり、一気にトップに登りつめた。この勢いにのって同年12月には初の香港コロシアム(紅館)ソロコンサートを開催、”98年でいちばんチケット入手が困難だったコンサート”といわれ、連日満員の大成功に終わった。
 99年に入り、早くも約3ヶ月後には再び紅館でコンサート、追加の追加でコンベンションセンターでも行われた。同年夏には初主演の映画『星願』が公開された。また秋には特別出演した『君のいた永遠に』(原題『心動』)が香港、台湾はもとより日本でも全国公開された。
 2002年、時代劇ドラマ「騎[口尼]大状」で初主演、これまでのイメージをくつがえす役柄に挑戦し話題になった。
(アルバムについてはこちらを、映画やMTVについてはこちらをごらんください)

  ファッションにはかなりこだわる。もし、歌手になってなかったらファッションビジネスをしてただろう、とのこと。今の仕事は好きな歌が歌える上に流行の服もたくさん着れるまさにぴったりの職業だったのだ。トレードマークのメガネのコレクションはかなりのものらしい。その時着る服に応じてメガネも着替えるのが彼らしいこだわり。その反面、気に入ったメガネはヘビーローテーション状態になることもある。そのおかげか(?)99年時計とメガネのブランド"TITUS" のCMキャラクターに選ばれた。

 康仔と日本はかなり関係が深い。なにより好きな国は「日本」。年に何回かは買い物をするために来日するらしい。98年の大ブレイク時にもしっかり時間を作って(それがちゃんとバーゲンの時期だったりするのが輪をかけてしっかりしている)来るあたりからどれだけ日本で買い物するのが好きかわかるというものだ。
  少年時代、親戚がカラオケを経営していて、でもその頃は日本の歌しかなかったので、歌謡曲から演歌まで歌いまくってたらしい。新秀歌唱大賽出場時も西城秀樹の「だきしめてジルバ」を日本語で歌っている。そんなこともあってか日本語の歌を歌わせるとそれは完璧な発音で歌いきる。コンサートでは久保田利伸の「LaLaLaLovesong」や安全地帯の「恋の予感」を、アルバムでも山口由子と「Believe」を歌っていますがそれはもう完璧。きっと日本人名で密かにデビューしてもちょっとやそっとじゃばれないと思う。演歌も聞いてて歌えるらしいが「うけないので真似しない」、けれど演歌の心は歌うときの仕草に大いに出ている(笑)。

  おしゃべりも好き。ほんとによくしゃべり、話し上手。それを生かして(?)深夜のトーク番組の司会をつとめたこともある。

  家族は父母に兄2人、姉1人、康仔は末っ子。父はジャズミュージシャン、母はファッションビジネスをしていた。康仔曰く、音楽はもちろん、服好きなのも父親の影響を受けてるそう。子供の頃はやりたいことは自由にやらせてくれ、親から強制されることはなかったとのこと。芸能界に入るときも特に父親が当初反対したが、結局は許してくれたそうだ。

  彼の友達はとても多い。許志安、梁漢文、張衛健との4人は義兄弟といってもいい好朋友。この4人で"Big Four"というグループを組み、2010年にはコンサートを開いて連日満員御礼の大盛況だった。あと呉國敬や鄭秀文もだし、雷頌徳も。(康仔は雷ファミリーの一員といっていいと思う) ミュージシャン関係は挙げればきりがない。’98年のコンサートにもたくさんのゲストが来て、多くのミュージシャンが参加したのは彼の人徳ですね。 あと、長年ドラマに出演していた関係でTVBで活躍している俳優たちとも交友が深く、コンサートでも多くの俳優たちが駆けつけていました。

 あ、忘れてはいけないのが黄尚偉(コンラッド・ウォン)。コンラッドとはデビュー当時からのつきあいで一時期はほとんどの作編曲、プロデュースを担当し、彼に絶対的信頼を置いていて、絆も深い。その深さはコンラッドがちょっとしたスキャンダルに巻き込まれたことがあったのだが、その時に康仔は「彼はスターじゃないから」とコンラッドをマスコミからかばって彼の代弁者として表に立ったというエピソードがあるほど。今は一時期に比べると彼との仕事はかなり少なくなっているが、時々彼の名前を見ることができる。

 1999年にシンガポール人の女性と2年のお付き合いを経て結婚、夫婦揃ってマスコミに出ることもしばしばで、おしどり夫婦ぶりを見せていたのですが、2003年、離婚しています。08年からまた別の女性とお付き合い中、でも今回は結婚は急がないそうです。

 


 写真、替えようと思ったんだけどやっぱり「解脱書」のはかっこよく撮れてるので引き続き使いました。ジャケットで顔がはっきり写ってるのが少ないのも彼の特徴でして(^^;)