”ガイジン”プロデューサー 黄尚偉

 −ちょっとプロフィール−
 英名はConrad 。ごぞんじ康仔の長年のパートナーです。オーストラリアへ留学していて、帰国後はずっと音楽業界に携わってます。康仔以外にもアーロン・クォックやサミー・チェン、ダニエル・チャンなどのプロデュースもしています。康仔の曲のイメージからジャズ一辺倒のように思いがちですが、Rave、トランスなど、アンプラグド以外もOKの懐の広さです。一見地味なのですがだまされちゃいけません(笑)


 11年前、黄尚偉と出会って間もない頃だったけど、その時にもう僕は将来の子供をオーストラリアに留学させることだけはやめようと心に決めた。毎日毎日明けても暮れてもスポーツばかり。体ばかりで頭はからっぽ。

 いきなり出だしがすごい(^_^;)。 わたしもこれを書いてて彼のイメージが崩れ落ちていく音が・・・。こんなことが書けるのも親友だからなのかもしれませんが。
 さて、二人はそろって同じ事務所に入るのですがボスに恵まれませんでした。でもこれがコンビ結成のきっかけでもあったのです。

 コンラッドはとても恵まれた家庭に育って性格もお坊ちゃんだから、お金にたいする執着心があまりない。彼にとっていちばん大事なのはお金よりも楽しく仕事をすることなんだ。事務所を出た後、僕と彼は共に仕事をするようになった。というのも二人とも音楽に対して理想があったからだ。
 僕は彼が手がけたほかの歌手のプロデュースについてはあまり詳しくないんだけど、アーロン・クォックとの仕事はとてもよくやったと思うよ。彼の優れたところは忍耐力があること。だからもし歌唱力があるとはいえない歌手が相手でも仕事はしっかりやり遂げる。たとえば楊采[女尼]、僕は彼女の歌の中でコンラッドプロデュースのがいちばん素晴らしいと思う。そのほかに彼はサミー・チェンとの仕事のように空き時間ができてしまって、仕事が止まってもそれを歌手に八つ当たりしたりはしない。そういった態度もプロデュースという仕事には重要なことなんだ。

  このくだりから康仔がプロデューサー・コンラッドをどれだけ認めているかがわかるような気がします。
  続いて二人の仕事について。

 早くからジャズやブルースを取り入れた音楽づくりを打ち立てられたのはコンラッドが尋常でない僕につきあってくれたからだ。もしほかのプロデューサーだったら当初の売上成績に驚かない人などいなかっただろう。でも彼は売上なんか気にもしてなかった。1万枚だろうが千枚だろうがどうでもよかった。プラスマイナスゼロだよ。稼ぎがなくても文句ひとつ言わなかった。
 初期の作品『生命色彩』や『割愛』は不完全燃焼だった。経験も浅かったし、音楽のさまざまな素養も充分でなく、味はあっても魂がこもってなかった。
 でも『没有季節的火花』から昇華し始めた。精神も伴ってきて、自分自身どうしたいのかがわかりだしてきたんだ。『従来未發生』『假使有日能忘記』も彼が作った曲だけど、とてもいい出来に仕上がった1曲だ。その頃の彼は音楽的成長がめざましかったがそれに加えてその頃抱えてた感情の起伏が作品の薄っぺらさをなくした。デートしてたことは彼から言わなくてもみんなわかってた。僕が唯一得したのは恋愛が彼に素晴らしい曲を書かせたことだった。
 以前の僕はとてもわがままだった。でも歌がラジオ局で取り上げられるようになり、売上は伴わなかったけれどとても満足だった。正東に入ってから表に出る機会が増えてきたけれど、それでも流行に流されないよう自分の位置をキープしている。たとえば『越吻越傷心』はほかの会社だったらまじめに取り組んでくれなかったかもしれない。でも彼は楽器の音にこだわった。負担は大きいけれど、節約はしない。みんなが納得するつくりにするには、まず自分が納得できるものであることが大事だ。

 康仔のコンラッドへの感謝の気持ちがこの文章からも伝わってくるような気がします。二人の理想の音楽への思い入れもひしひしと伝わってきます。これからもこの二人が作り出す音楽を聞き続けていきたいと改めて思います。

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