陶大宇

”おばさまキラー”陶大宇

 −ちょっとプロフィール−
 英名はMicheal…らしいです。(英名使うの聞いたことないもん^^;) 彼がTVB元祖「師[女乃]殺手」(おばさまキラー)。彼はかっこよさ&お坊ちゃまな感じでおばさまをメロメロにしてたみたいです。TVBで長く活躍し「壹號皇庭」シリーズはじめ、主役級作品多数。絶頂期にTVBを離れて活躍の場を広げようとするもうまくいかず一気にピンチに。しかし’99年「縦横四海」がATVで放送されるや大ヒット、彼も大復活を遂げました。最近再びTVBで復活との話もあるようです。


 康仔が大宇さんをよく知るようになったのはドラマ「壹號皇庭U」から。Uの撮影半ばですでにVの撮影が決定していたことがあって、撮影終了後もみんなでよく茶餐廳で夜食を食べながら親交を深めたそうです。

 大宇は僕を連れて蘭桂坊で遊ぶのが好きだった。といってもそれはヤッピーの振舞や態度を観察するためでもあった。学生が放課後みんなでファーストフードでたむろする感じじゃいけないんだものね。それで大宇は初めて自費で劇中衣装を揃えた。僕も後になってアルマーニを買いに行った。結果、「壹號」は台詞回しも素晴らしく、まさに蘭桂坊での観察の賜物だと思う。

 このドラマで人気が急上昇、一気におばさまキラーと呼ばれるほどの人気者になった大宇さん、そうなった後も康仔を捕まえて、深水湾で海風を感じながら海辺でビールを傾けたりしてたそうです。曰く「周りから見ても僕たちゲイに見えてたんだろうなぁ」(^_^;) そこで大宇さんが言ったこととは。

 陶大宇は長く長くがんばり続けてとうとう「師[女乃]殺手」と呼ばれるまで上り詰めた。彼はとても興奮しながら言った。「阿康、人気はいつだってつかめるんだ!」
 変に思わないでほしい。彼はそれまで悲惨とも言える状況で、俳優のギャラだけではとても生活できなくて彼女からお金を借りてやっとなんとか食べられるといった有様だった。半分やけを起こして三級片に出てたりして、屈辱も味わった。そんなことがあって、人気者の気分を充分味わったと思う。でも人となりは全然変わってない。

 やがて、人気絶頂にもかかわらずTVBを離れたのですが、いきなり人気急降下。飲みに誘ってもさすがに落ち込んでいたそうです。でも「縦横四海」で再び人気を得るのですが、そのときには興奮せず冷静にその状況を受けとめていたと語ってます。

 大宇さんは「友達の反撃編」で康仔のことを語っています。まずは康仔との出会いから。

 ドラマ「ジンギスカン」で電車に十数時間も揺られてモンゴルまでロケに向かった時だった。電車の中ではただ寝るしかなかった。やっと目的地に着いたそのとき、彼が足で俺を蹴って「着いたよ、起きろよ」。おい、何様のつもりだよ!偉そうにしてても結局俺もお前も銀行玄関の獅子みたいにただ立ってるだけの役なんだよ。
 「壹號皇庭」での共演はあれから6,7年も後になる。朝から晩まで一緒に仕事して初めてあの頃の彼はまだ子供だったんだなと思った。人のいいところを素直に認め、人の苦しみを分かち合うとてもいいやつになってた。

  貴重な康仔の”若気の至り”エピソードですねぇ(笑)
  デビュー当時から康仔を知っているからこそ康仔の大ブレイクを奇蹟だという人に反対する大宇さん。ブレイクまでの10年、努力を絶やさないことがどれほど難しくしんどいことか、と身をもって知っているからこそのなのでした。 続いて…

 彼は記憶力がものすごくよくて、せりふを覚えるときもすごいんだ。「壹號皇庭」の撮影の時でも俺とBobby(欧陽震華)がずっとNGしてるのに、彼は一回もNGなし!
 (中略)
 彼はDJの才能があると思う。言葉使いも話声も上手だし、なにより彼を知る人ならみんなそうだと思うけど、彼とおしゃべりしているとすごく心地いい。

 と、最後は康仔をほめまくりの大宇さんでした。

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