ディッキー・チョン 

”雑草のような男” 張衛健 
=ちょっとプロフィール=
英名はDicky。これでも(ごっつい失礼^^;)第3回(1984年)新秀の優勝者。90年代初めにコメディ映画に多く出演「ポスト周星馳」とまで呼ばれて人気絶頂だったのだがブームが去るとともに落ち目に。 95年に台湾デビューしてまたも絶頂期が来たが、またもどん底に。つづいて大陸に渡りドラマに出演。そしてドラマ「西遊記」で孫悟空を演じて香港での人気がカムバック。と非常に浮き沈みの激しい芸能人生ですが今はドラマを中心に活躍しています。最近は劉徳華のレーベル”New Melody”に加入、歌も再開しました。


 なんといってもいちばんの好朋友、4兄弟のひとりだからか、最初から容赦しません。

今回の張衛健人気で歌よりも芝居のほうがすばらしいことが再び証明された。
安仔のコンサートで見た人もいるかもしれないけど、彼が「足球小将」(注:沖田浩之が歌ってた「キャプテン翼」の歌のカバー、ディッキーの持ち歌です)を今歌っても13年前とぜんぜん変わってない、全く進歩なし。やっぱり演技のほうが素質あるんだよ。

ね。(笑) 仮にも新秀歌唱大賽っていう香港版スタ誕の優勝者ですよ、ディッキーは(^^;) ま、ディッキーもコンサートの時とかでも康仔をネタにいらんことまで言うのででお互い様ってことなのかな(笑)

 このエッセーでディッキーを語るときにいちばん強調してるのが「彼は雑草」。二つの意味があって・・・

 95年に台湾の芸能界にデビューしたが、すぐに人気者になったと思ったら、それもつかの間だった。で、次は大陸へ渡ってドラマを撮ることになった。初めは環境に慣れなくてかなりきつかったらしいけど、あっという間になじんで北京にもおいしいものたくさんあるし、遊ぶところもあるしって楽しそうに話すんだ。ほんと、彼は空気と水と日光さえあればどこでも生きていけるよ。
 草は踏まれても枯れない!
 TVBからデビューして以来、人気の浮き沈みを何度も味わってきた。その人気をキープしたいと思っていたはずだけど思うようにいかないものだ。でも彼の生命力はすごいから、友達の中ではいちばん心配いらないんだ。

  ディッキーの笑いの裏にはこんな話が。

 彼のいちばん尊敬するところはとても家族思いだということ。彼自身勉強ができないことを自覚してたから、二人の弟にはしっかり勉強してほしかった。あるとき、学費に5万ドルが必要になったからって事務所に秘密の営業をとってきたんだ。 そんなこと華星で彼が初めてだった。 
 彼はなんと毎晩シンセンでステージに上がっていた。ドラマ撮影が終わるとすぐ列車に飛び乗ってシンセンに向かう。ステージが終わると、始発の列車でとんぼ返りして、テレビ局で仕事。これが毎日だよ!
 ある日、ふとぼくにこう漏らした。「もう耐えられないよ。昨日九龍塘の駅で電車待ってるうちに思わず泣けてきちゃってさ。何のためにやってるのかわからなくなってきて・・・稼いでもそれは自分のじゃないし、とってもつらいよ・・・」と言いながらも次の日にはまた行ってた。

 もちろん今でも家族思い、特に母親思いで、大陸での撮影が続いても時間を作って香港に帰り食事を共にするそうです。それもしょっちゅう。こんなディッキーの孝行ぶりには敬服してしまうという康仔でした。

 こんないい話がありながら、最後は女遍歴ネタ(笑) 
 芸能界に入って間もない頃出会った彼女とのデートに康仔はいつも借り出されてたそうで、それは彼女のお母さんの目をごまかすためのカモフラージュ(笑) 
 その後まもなく宣萱(TVB看板女優のひとり)とつき合い始めたものの、95年に別れたときは、それはものすごく落ち込んだそうな。
 で、今の彼女張茜(この方、実は昔あの体操の池谷くんとデュエット歌って日本デビューしてたのだそうです)。康仔は彼女にあったことがないのだそうですが、もう恋なんかしないって言うほどに傷ついて落ち込んでたのに、まさか結婚とか赤ちゃんとかって話が出るようになるなんて思わなかった。きっと彼女には強く引きつける何かがあるんだろうね。

  反対にディッキーからみる康仔。彼は何か重大なことがあると必ず康仔に相談すると言います。冷静で考えがほかの人より中庸だからだそうです。「友達の反撃編」ではそのエピソードが語られています。

 僕と彼との間で一番印象深い出来事はある日の自動車事故だろう。
 新車を買って3日目のこと、夜に大勢でカラオケにくりだしてとってもハイな気分だった。その帰宅途中、屯門で車をぶつけてしまったんだ。これまでにないぶつけ方で、しかも間が悪いことに免許証が見つからない!おろおろしてしまって、どうすればいいのかもわからず、とにかく先に安仔に電話した。そうしたら彼は康仔に電話しろって言うんだ。彼ならこんなときどうすればいいか知ってるからって。
 康仔はすぐにだんどりをつけてくれた。レッカー車を呼んでくれ、車のディーラーにも連絡してくれた。それから僕に車がどこにレッカーされたか教えてくれた。僕は何もせず、なにも考えず、ただ彼が迎えに来てくれるのを待つだけでよかったんだ。
  まわりにはなにもないし、ほんとうに怖かった。わざわざ中環から迎えにきてくれて、部屋まで送ってくれた。二日目にレッカーされた場所を教えてくれただけでなく、レッカー代まで立て替えてくれてたんだ!
 本当にうれしかったよ。君もこれまで経験してないことが起こって友達が自分のために動いてくれたとなればこれほどうれしいことはないだろう。
 僕には4人の大親友がいるけれど、大きな決定をしないといけないときは必ず康仔には相談するんだ。 

 

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