パトリック・タム

 ”孤独を生きる男”譚耀文

=ちょっとプロフィール=
 英名はPatrick。康仔と「天知道」を歌ってるのでおなじみですね。第7回(1988年)新秀の優勝者。でも歌手としてはいまいち人気が出ず、「壹號皇庭」などテレビドラマに多く出演、やがて映画にも出演するようになり、98年「野獣特警」で金像奨の最優秀助演男優賞を獲得。続いてATVのドラマ「縦横四海」で人気急上昇、俳優として確固たる地位を築いたのでした。


阿譚(=パト)にはその人がなにやってもうまくいかなくてどん底の時に姿を現す、という妙な癖がある。普通調子のいい時は全然知らない人まで友達だと言って集まってくるものだが、彼の場合そういうときには全く姿を見せない。で、やってることがうまくいかない時にひょこっと顔を出す。

 タイミングがいいというのか、悪いというのか・・・(^^;) 
 パトは基本的に群れることや人と会うこと、人前に出ることが苦手なようです。それって芸能人としてはかなりつらいのでは・・・。でも康仔の文章からはそれを欠点としては捉えていないように思います。それはこんな文から・・・。

彼は人の手を煩わせることを嫌う。華星(唱片)を離れてからだってなかなか彼を捕まえられなくて、いくら連絡を取っても返事が返ってこなかったくらいだ。(中略)
今も彼は全然変わっていない。すすんで自分のことを話すことはまずなくて、何かあってもすべて自分で処理する。こちらから聞かない限り彼は何も言わない。でも相手に何かあったら、彼から親身になってなぜそうなったか、これからどうすればいいかを考えてくれる。 彼って本当におかしな人だ。

 おかしなヤツと言いますが、パトのこの性格が康仔の危機から救ってくれたことがあったのです。

91年の終わり、アルバムの1枚も出ない僕の仕事は順調とはいえなかった。そんなときに彼は毎日僕を誘ってきて、昼間は南湾へ日焼けしに行き、夜は尖沙咀の”Catwalk”(注:ディスコ。今はないと聞きました) で遊んでいた。
ある時僕がある人と言い争いになりしまいに殴られて大喧嘩になってしまった。阿譚はすぐに僕を抱えて、後は俺ひとりでなんとかできるからと言って僕を外へ逃がしてくれたのだ。
自分はその場から逃げたものの、彼に何かあったらと気が気ではなかった。その後彼に電話して何事もなかったことにほっとしたのだが、二人とも両目に殴られた痣ができてて、とてもじゃないがこんな状態で家に帰れない。二人して思わず「もう、どうしよう!おかんにみつかったらむっちゃおこられるやんか!」
 阿譚は僕を自分の家に連れて行ってくれた。ラーメンを作ってくれたうえに痣の治療までしてくれた。「心配するなって。一眠りしたら送って行くよ。俺が言い争いになったからでおまえには関係ないって説明するからさ」
 結局僕は2日目の朝に当時中環にあった家に帰った。阿譚は母に事情を説明すると、タクシーで西貢まで帰っていった。

 セリフを思わず大阪弁にしてしまいました(^^;) なによりも母親が恐いんですねぇ。 しかしパトってなんて優しいヤツなんでしょう。康仔は最後にこう締めくくってます。「阿譚はあいかわらず一人が好きだけど、でも僕にとっては大の親友、すごく義理に厚くて何事もしっかりしてるんだ!」

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